ここでは、私がどのような経緯で手相師になったのか、手相師として何を目指しているのか、また手相以外のバックグラウンド(アメリカ生活、外資系)など、いろいろ語りたいと思います。
怪しげな男性に声をかけられる
ある日のこと。私が若かりし頃。
町を歩いていると、怪しげな男性が近づいてきました。
「手相の勉強をしている者です。手相を見せてもらえませんか?」
うーん、ちょっと怪しいかも(笑)
なんか、この後に壷か何かがでてくるという話を聞いたことがあるような(笑)
まぁ、でも本当に勉強してる人かもしれないから、ちょっと試してみようか。。。
手を広げてみました。
するとこの男性は・・・
「こ、この手相は!!!」
と叫びだしました。
「うぉーーーーー!!!」
一歩後ろへと後退。
マジか(笑)あまりのオーバーリアクション(笑)。
「ますかけ線という有名な手相です。しかも両手とも!!!」
へぇ。そうなのか。
この怪しげな男性のオーバーリアクションの瞬間こそ、私が手相に関心を持つようになった、初めての瞬間となりました。
何かのきっかけって、本当に些細なことです。
両手ますかけ線
ちなみにこのますかけ線というのは、ご存知でしょうか?
ますかけ線では、感情線と頭脳線が一つにつながっている状態です。
ますかけ線は、何かしらの分野でトップになった人が多く持つ相ともいわれています。家康は、天下を取ったますかけ線持ちの将軍として有名です。お笑い芸人から音楽家、スポーツ選手まで、ほんといろんな業界にいます。
ますかけ線を持っている人は、個性的、独特な性格であり、半端ない集中力があるとされています。
一般的には平凡ではなく、浮き沈みが激しい人生。
この人なんだかおもしろい人だなぁ!と思ったら、手相がますかけ線だったりします。
その一方で、ますかけ線の特徴を生かさなければ、実に平凡な人生になってしまうこともあります。
もしますかけ線が両手に出ていたら、それはさらに珍しいパターン。ますかけ線の効力は2倍です。ちなみに私がこれにあたります。個性的だなぁとは思いますが、苦労ばかりの人生ともいえます。
手相の勉強を始める
ますかけ線ていうのか。手相っておもしろい。
そんな感じで、私は手相の世界に入っていきました。
それから、書籍を読み漁ったりし、かなりの勉強を開始しました。
ますかけという特徴もあってか、私は何かにのめりこむと、脅威の集中力で徹底的にやります。
さらに、他の手相師さんの意見も伺うべく、いろいろな他の方にも自分の手相を見せていきました。
詳細は省きますが、これがきっかけで、私は自分の師匠まで見つけることができました。メディアとかには一切出てない方なんですけど、いちようこの師匠が私の基礎を築き上げてくれました。
さらに、路上でも活動を始めました。
路上での活動。当初の私がそうだったように、怪しいと思う人もいたことでしょう。ただ、とにかくいろいろな人の手相を見て、経験を積みたかったのです。
手相でなく、大学は数学/経済学部卒業、職場は外資系で経験を積む
手相は大好きでした。自分でいうのもあれですが、鑑定した多くの方に、才能があるといわれ、これはきっと両手ますかけ線の影響もあるだろうと考えていました。
一方で、手相師をやりながら、当時の自分は若造であり、自分の経験値の低さというのを痛感していました。手相は大好き。でも、もっと他の経験も積まないといけない。
そして、自分が生涯手相師としてだけで生きていくことはないだろう。そう考えていました。
そんなとき、ちょっと大きな出来事がありました(長い話になるので、また別の機会に)。そういうのをきっかけに、私は大学できちんと勉強することに決めました。
もちろん、勉強をしながらも、手相師としての活動はしてました。好きだったから、続けていただけです。
大学はアメリカ、専攻は数学/経済
私は国際派になるべく、アメリカの大学に行くことにしました。
最終的には、南カリフォルニア大学という大学で、数学/経済という学部を卒業することとなりました。手相師なのに、数学の勉強してたんですね。理由はまたの機会に。
アメリカ行った当時は、無茶苦茶勉強をしました。もともと語学が得意でもなかったので、語学までもみっちりやりました。学校の勉強と並行して、語学も別で学んでたのです。これも長くなるので別の機会に。
ちなみに、アメリカに行っても、手相の研究は続けてました。仲間も私が手相師だと知っていたので、私の周りには、常に多くの人が集まってきました。
噂が広まり、あるカレッジの教授などからも、見て欲しいというリクエストをいただき、お宅訪問したこともあります。口コミ効果により、その先生のお宅には、既にけっこうな人数の方が集まり、たくさんの方を鑑定したことをよく覚えています。
アメリカでしたので、いろんな人種の方の手相を見ることができました。
外資系大手ソフトウェア会社本社で副CEOのアシスタント
大学卒業後は、ドイツでよく知られた大手ソフトウェア会社に副CEOのアシスタント兼インターナショナルマーケットという部署で、働き始めました。
若造ながら、副CEOのアシスタントをやらさせていただきました。いわゆる鞄持ちです。副CEOの秘書の横で働いてました。外国人の若造でこんな経験できたのは、非常に珍しく、貴重です。
大きな会社ですから、副CEOも激務です。お客さんのところに一緒に付き添って行ったり、海外出張に一緒に付き添ったり、トップしか知りえない情報の管理したり。ここでは濃密な経験をさせていただきました。
ちなみに、働き始めてからは、自分が手相師であることは、一切明かしませんでした。
これにはいろいろな理由があります。
手相師としてでなく、会社の人間として認知されたかったというのもあります。手相師といったところで、怪しまれると思っていたと内心思っていたかもしれません。
いずれにせよ、働き始めてからというもの、自分が手相師であるという事実は、本当に近い人にしか、告げませんでした。
外資系大手監査法人、ビッグ4の一つに転職、デューデリジェンス、M&A、バリュエーション、監査等、激務の毎日
ちなみに、私のボスの副CEO、昔、ビッグ4の一つのパートナーでした。
私は副CEOの影響を受け、まさに彼が昔働いていたそのビッグ4の一角に転職することにしました。
そこでは、デューデリジェンス、M&A、バリュエーション、監査などの業務に従事しました。日系会社のヨーロッパにある会社の買収に際し、会社の値段を査定したりとか、監査したりとか、いろんなことをしました。
ここでも、同僚の誰一人にも、私が手相師だと伝えませんでした。
買収交渉中やら、決算の数字をチェックしている最中に、
「はじめまして私は手相師です」
なんていえないですよね(笑)
さらに、当時はあまり思い出したくないほど激務でした。髪の毛もさらに真っ白になりましたっけ。
個人投資家、手相師、コーチ、コラムニスト、東ヨーロッパでのスモールビジネス、などなど
会社は辞めました。
人生一度なので、自分の生きたいように、やりたいように挑戦してみようと思ったからです。
会社を辞めてからは、以前から大好きだった投資をもっとやりたいと思い、個人投資家としての活動に力を注ぎ、ある程度の資金を運用できるまでになりました。ちなみに投資歴自体はかなり長いです。
マルチリンガルだったこともあり、語学が好きなので、そっちのビジネスに携わっていたこともあります。
評論活動などもしていたので、コラムニストとして、メディアさんの方でも記事を書かせてもらったりもしました。
さらに、東ヨーロッパでスモールビジネスもってたりもします。
手相師としての活動。占いの研究。
そして重要なことですが、会社を辞めてから、手相師、占い師としての活動、研究を本格再開しました。自分なりの手相観、占いの研究も、本格的にずっと徹底的に続けています。海外のクライエントの多くの鑑定もし、研究を熱心に続けています。
手相だけでなく、人相、占星術、数秘術、ボディームーブメントの研究も同時に行っています。
マルチリンガル国際投資家&手相師へ
同時に、自分が好きな投資に自分なりの占い師としての研究が応用できないかどうか、試行錯誤、さらなる研究もずっとしています。
もちろん、投資は占いだけでするものではなく、ファンダメンタルズ、テクニカル、株価指標などの深い理解があって、そこにプラスして、自分の占いを加味する形で行っています。
よって、正直言って、それこそ目まぐるしいほどの努力と涙をしていますが、好きなことなので、前進を続けることができています。
手相師って、すばらしい
ちなみに、手相師でいて、一番良かったと思うのは、皆に感謝される時です。
「すごい楽しい時間でした。ありがとうございました。」
「自分自身を知ることができ、本当に良かったです。」
「今回アドバイスをいただけて、すごく光栄で、言葉が響きました。」
人に感謝されることって、すごくうれしいことです。
そして、人の人生を少しでも好転させることができるなら、これほど幸せなことってないですよね。
常にストイックに勉強を続けたい
また、両手ますかけ線持ちの人間として、私は自分が好きなことを徹底的に行うこと、これが大変重要なことだと思ってます。
元々私のルーツは手相師。
手相師としてのスキルをさらに上げたい。
私はジムのウォーキングマシンの上でも、日経、ダウ、世界の株価を見て、国際ニュースの確認とともに、手相、占いの研究を日々しています。
自分でもストイックだなぁとたまに思います。
今後とも精進してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
マルチリンガル国際手相師の手相鑑定に少しでも興味のある方へ:
鑑定ご依頼前に、手相鑑定Q/Aセクションをご覧ください。