[杉村太郎・・・最後のコトバ] レジェンドとの思い出。会えるものならもう一度会いたい。オーラのある、本気でアツい男。回想録、すごさ、アツイコトバ、英語学習。病気で苦しんでいても常に本気。杉村太郎さん追悼、思い出を語ります。
8月20日は、杉村太郎さんの命日。ちなみに2021年で、太郎さんが亡くなり、なんと早10年。
私は太郎さんと少々面識がありました。本日は、太郎さんがどれほどアツくて本物の男か、また彼との思い出について語ります。
まずは始めに、杉村太郎さんとは誰か、についてまとめます。
杉村太郎は実業家にしてベストセラー作家、教育者で音楽家。杉村太郎はシャインズ結成、秋元康プロデュースで「私の彼はサラリーマン」など、音楽活動。ジャパンビジネスラボ、我極館、プレゼンス創業者。「絶対内定」シリーズは有名。杉村太郎のすごさ。
杉村太郎。
このレジェンドをご存知でしょうか?
太郎さんは、大企業社員として働きながら、シャインズとして「私の彼はサラリーマン」など、音楽活動。その後は、実業家。ハーバード大学行政大学院修了。ジャパンビジネスラボ、我極館、プレゼンス創業者。ベストセラー作家。
こちらが太郎さん。当時私が読んだ本より。
杉村太郎はサラリーマン歌手コンビ、シャインズで、秋元康プロデュースの「私の彼はサラリーマン」など、音楽活動をこなす。杉村太郎は住友商事、大東京火災海上保険などで働いていた。
杉村太郎さんが音楽活動をしていたのは、サラリーマン時代。当時、住友商事で、音楽デビューNGということで、大東京火災海上保険に転職。
そして、サラリーマンでありながら、シャインズとして、「私の彼はサラリーマン」など世に送りますが、あの秋元康氏がプロデューサーなんですよね。
この曲、歌詞がおもしろい曲です。
「私の彼は商社の男。プライド高いが腰は低い」
「私の彼は銀行の男。外見はかたいが、中身もかたい。頭はみんな七三。」
バブル期の曲、おもしろい(笑)。
そして、太郎さんは作家としても大変よく知られています。一番よく知られているのが、太郎さんの絶対内定シリーズ。このシリーズは多くの就活生に読まれ、ロングセラーとなりました。
杉村太郎、すさまじいほど英語を勉強し、ハーバードへ留学
太郎さんは、ハーバードに留学する前に、すさまじいほど英語を勉強しました。
ちなみに、その時の勉強法をまとめたのが下記の書籍。今回の写真もその本からですが、この本には壮絶にすさまじい勉強法が書いてあります。
もうけっこう前の本なので、TOFLEの勉強法としては古いですが、あくまで「英語の勉強本」として割り切れば、おもしろい本だと思います。
こんな風に勉強する人がいるのかと、当時驚いたものです。
太郎さんはこの時の経験も生かして、英語塾もやってたんですね。
杉村太郎英語塾(プレゼンス)で一時お世話になる・・・杉村太郎さんには強烈なオーラがあった
で、私が太郎さんと面識あるのは、アメリカ留学前に、短い期間でしたが、太郎さんの英語塾で一時お世話になったからです。
この塾には、太郎さんと出会えただけで、行った価値あったなぁと思ってます。
太郎さんと出会って感じたのが、強烈なオーラ。非常に珍しい経験です。
杉村太郎、本当にアツい男。本物。杉村太郎の熱いコトバ、名言。
ある日の夜。授業後に、太郎さんと話をすることに。
深夜に近い夜中です。どう考えても疲れてるはずですけど、全然そんな姿見せやしない。100%の力で、全力で私と話をしてくれました。
「この人は、本気だ」
そう思い、単純にうれしかったことを覚えています。
太郎さんは、
「お前を見れば、すぐに本気で生きてることなんて分かる」
「自分のやりたいことをやるんだ」
「堂々とやればいい」
などなど、いろいろ言葉を本気で投げかけてくれました。
アツイだけでなく、
「おれなんか、実はこんなことも・・・好きなんだぞ」
と、お茶目な笑顔も見せてくれ、笑わせてくれたりもしました。
言葉だけじゃないんですね。彼の仕草とか、すごく本気感が伝わってきました。
非常にオーラのある方で、これは見た瞬間の人相で感じました。
2011年、杉村太郎、死去。政治家の姿を見ることはなかった。
太郎さんは、本気で日本を変えるだけのバイタリティーのある方。ハーバードで行政の勉強してたこともありますから、突如政治家として立候補し、将来は日本を変えてくれるような、そんな人だと思って期待していました。
でも、2011年。太郎さんはこの世を去りました。癌。
なんと、47歳。あまりにも若い。
聞いたときは、ショックでした。
なぜ太郎さんなんだろう、と思いました。
杉村太郎、最後のメッセージ。最後のコトバも本気だった。
太郎さんが亡くなる数年前、私は太郎さんと最後のやりとりをしました。
私は今こんな状況です、と太郎さんに打ち明けました。
多忙な方でしたが、社交辞令の定型文ではなく、本気のメッセージを私にくれました。
「素晴らしい!」
「ヨーロッパなら、パリに行く機会があったら、紹介したい人がいます」
「今後も連絡待ってます」
でも、私にとっては、これが杉村太郎さんの最後の言葉になってしまいました。私は知りませんでしたが、太郎さんはこの頃既に、病と闘っており、かなりしんどい状況下だったんですね。
弱気な面なんて一切見せないから、そんなこと分かりやしない。
聞いたところによると、太郎さんは病気になってからも、精力的に活動を続けていたと聞きます。
振り返ってみると、ある意味、太郎さんらしいなと思いました。会った時から、最後まで、常に本気のメッセージ。
亡くなって10年経った今でも、やっぱりこの人、かっこいいなと思います。
時々、堂々と生きてないなと感じる時。私は太郎さんのことを思い出します。
その度に、身が引き締まる思いになります。
私自身、素晴らしい言葉をいただきましたが、太郎さんは多くの名言を残されてる方です。太郎さん自身、このようなアツイコトバを書籍にしています。
実に太郎さんらしい本で、アツイなぁと思います。実際アツイ方でした。
会えるならまた会いたい、杉村太郎さん。
どうぞ、天国でもお元気で。御冥福を謹んで申し上げます。